Notes

わたしは学問言説に関しては明確に自由主義者で市場主義者です。これは、著作や論文の消費社会的粗製濫造への賛同ではなく、人々の思想はオープンかつ公正に競われ戦わされるべきという意味で、です。言論を表現する回路は研究者に広くかつ平等に保証されていなければなりません。

しかし日本の人文・社会科学分野には、たとえば論文査読ひとつとっても、過剰に要求の多い「検閲官」のような規制主義的な査読者もいるようです。もしヴェーバーやパーソンズやシュッツやハーバマスやルーマンがいま日本の大学院生だったら、まず日本の社会学雑誌の査読は通過しないでしょう。日本の社会学者はこれがどういうことか考える必要があります。論文作法によりリジットなはずの自然科学の研究者のほうが、一般に、学術雑誌は過干渉によって論文の公開を妨げるべきではなくその評価は学問の市場にゆだねるべきとのスタンスを維持しているのは興味深いことです。「学問の進歩」を可能にするのが何か、よく分かっているからでしょう。

エドムント・フッサールはこう嘆いたことがあります。「なるほど、今でも多くの哲学の会議が開催されている。そこには哲学者達は集まるが、残念ながら哲学は集まらない」(浜渦訳『デカルト的省察』)。さて、社会学はどうでしょうか。はたして社会学は集まっているのでしょうか。
ここでは学問世界の現状や日々の事柄などについてたまに書いていきます。

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